梅雨の時期につけたいピアス

こんにちは、レスクです。

新しいピアスを作りました(実は先月すでに完成していました)!

今回はこんな感じに。



ちょっと小さくて見づらいですね、スマホカメラでは無理があるのかも…?


ペールライラック色のチューリップのような形のビーズを主役に、エアーブルーオパールという色のクリスタルを添え、すりガラスのようなシードビーズで囲みました。

クリスタルは、お花からこぼれる朝露をイメージして…


淡く、涼しげな色と質感のビーズ達、これからの梅雨の季節にぴったりだと思いました。



前に藤の広場に遊びに行ったブログを書きましたが、藤の色と似ているなぁと思い、このピアスを着けて出かけてきました(残念ながら藤は枯れ気味でしたが…)。


ここにはこんなピアスを着けて出掛けたいなぁと思いながら作るのは楽しく、身につけて出かけられた時はまた一層嬉しいです。

早く次のピアスが作りたいレスクさんでした。

エッセイストのように生きる

今月は、暮しの手帳の元編集長でありエッセイストの松浦弥太郎さん著「エッセイストのように生きる」を読みました。




読めば読むほど、私がなんとなく「こんな風に生きられたら…」と思っていたことを言語化してくれているような感覚になりました。

半ば興奮冷めやらずで、上手くお伝えできるか分かりませんが…



私はエッセイを書いたことはありませんが、日記やSNS等で、記録をつけたり、自分が感じたことを言葉で表すのが好きです。

好きだからこそ、いつもどこかで、自分の心が少しでも動いたことに敏感でありたいし、それを言葉と文章でバチっと表せた時はとても嬉しいのです。



自分の心の動きに敏感になると、「なぜこんなに心が動いたんだろう?」と考えます。

すぐに分かる時もあれば、どんなに考えても分からない時もあり、そういう時は頭の隅っこに置いておきます。

そうして色んな経験や思いを重ねるうちに「こうだったのか!」と分かる時もあります。



そうして焦らずゆっくり、でも確実に「わかった」が増えていくのは、宝物が増えたような気持ちになります。

自分はどんな時に喜んで、どんな時に悲しむのか。

何を大切にしていて、大切じゃないものはなんなのか。

自分のことが分かってきます。



自分のことを「わかっている」ことが多いほど、自分を喜ばせてあげることも、辛いことから守ってあげることもできます。

自分で自分を幸せにすることができる感覚があります。

松浦さんが本の中で教えてくれた言葉、「ドクター・ユアセルフ あなた自身の医者であれ」を実践することが出来るのです。



松浦さんは本の中で、エッセイストという生き方の一つに、嫌なことも前向きに味わい尽くせる生き方と書かれています。


私は以前ブログに上げた大橋鎮子さん著「すてきなあなたに」を初めて読んだ数年前に、「私もいつもこんな心の視点を持ってものごとを見つめられたら、もっと自分の暮らしが宝物のような日々になるだろう」と、心の中にエッセイストの視点が加わりました。


心の中にエッセイストの視点があると、嫌な出来事でさえもエッセイの種であり、そこからまた自分のことを一つ知り、分かるきっかけになる。

どんな感情も味わい尽くせるんだとわかり、嬉しくなりました。



松浦さんが挙げたもう一つのエッセイストとしての生き方は、なにかになる為の生き方ではなくどんな人間になりたいのか考える生き方ということです。


私は子供の頃将来の夢を聞かれるのに抵抗がありました。

将来の夢=大人になったら就きたい職業、というのは窮屈さを感じ、あらゆる職業から無理矢理「これならまぁ良いかも」と半ば妥協して探し出し、答えていました。


そんな私ですが何故か子供の頃から漠然と「やさしい人になりたい」と思っていました。

今だにどうしてそう思うのか、そもそも「優しい」ってなんなのか、答えに辿り着けていません。

それでも諦めがつかないので、これが私の本当の夢の一つなんだと思います。

松浦さんの生き方の提示に、自分の夢はこれで良かったんだと、ほっとした気持ちです。

そして知っている仕事からの選択になりがちな将来の夢より、自分で作り出していける、死ぬまで描き続けられる夢なのです。



つらつらと書いてきましたが、エッセイストのように生きるって、僅かな疑問も疎かにせず、自分の納得がいくまで掘り下げなければいけません。

それは時間が多く必要になりがちだし、それだけに「わかった」は中々増えていきません。


じゃあ、さまざまなものを粗末に扱い、無関心で、いい加減な気持ちで生きるのか?

せっかくのたった一度きりの、一つだけの人生、それはあまりに哀しいこと。


自分の人生くらい、自分で責任持って幸せに生きられるように、出来ることはなんでもしたい。

松浦さんの本に今一度心を強くしてもらった気がします。



既存の幸せや自分の生き方に疑問を持っている方にもきっと良いヒントが隠れているでしょう、松浦弥太郎さん著「エッセイストのように生きる」の感想でした。

長くなってしまいました、最後まで読んでいただきありがとうございます。

アスファルトの花

こないだ、息子と夫と3人で近所の広場に遊びに行きました。

藤の広場と言って、その名の通り藤棚の見事な広場です。



半球状の藤棚の真ん中が広場になっていて、そこでかけっこしたりバドミントンをしたり。

大の大人が時間を忘れてはしゃぐ、子供に戻れたようなひととき。

良いお天気で、少し動いただけで汗ばむような陽気でした。



こんな良いお天気、お家に居てはもったいないと、皆考えることは同じなのでしょうか。

子供を連れたお母さん、散歩に来た介護施設の方々、ベンチで一息つく観光客…

皆思い思いに過ごしていて、そんな空気がまた一層楽しい気持ちにしてくれました。



帰りに、アスファルトに咲く花を見つけました。

思わず写真に撮ってしまいました。

まるで植木鉢に植っているような、見事な花を咲かせていました。


このすぐ側にあるお宅が、沢山の植木鉢の花を飾っているので、そのどれかから種が飛んで、ここで咲くことになったのでしょうか。



自ら咲く場所を選ぶことは出来ないけれど、それでもひたむきに真っ直ぐに咲くお花。

健気なお花に、来年もまた会おうねと、心の中で挨拶し後ろ髪を引かれながら家路に着きました。



お花と違い自分の足で咲く場所を選べる私は、もしかしたらお花以上にきれいに咲く事が出来るのかもしれない。

後からそんな事も思いました。

私達は、無理せず、咲きたい場所で、励めば良いのかもしれませんね。